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ラ・フォル・ジュルネ
【社会】 『コメの話』
『ひょっこりひょうたん島』のラストシーンを知っていますか?

僕は再放送でしか見たことなかったけど、大好きだったこのシリーズ。
ひょうたん島は「島民全員が郵便局員」という島にたどり着くのですが、このエピソードが日本の郵便政策を揶揄しているとして、郵政省により打ち切りにされたそうです。まあwikipedia情報なんだけど、その後郵政が民営化されたことも踏まえて、内容を確かめてみたいところです。

この『ひょっこりひょうたん島』の放送作家が井上ひさし
いまや放送史に巨大な足跡を残したこの反骨精神旺盛の人は、本職とは離れたところに1つ信念があったよう。それが「コメ」
氏は日本のコメ問題に大きな関心を持っていて、講演を開き著書を何冊か残しました。
僕もお米が大好きなので、今回はその一冊を読んだ感想を。

20年も前に書かれた本だけど、当時のコメをめぐる日本の様子がよくわかって面白かったです。
また、今議論になっているFTA締結に絡んでも、考えさせられる資料でした。



コメの話
 『コメの話』

 井上ひさし著,新潮文庫,1992年2月
 ★★★

 <目次>
 ・井上ひさしのコメ講義
 ・一粒のコメから地球を見れば
 ・コメ一粒から見えてくるもの
 ・コメの話
 ・好きで嫌いで好きなアメリカ
 ・続・コメの話
 ・コーデックス・アリメンタリウス
 ・こだわる理由





========


基本的に偏った意見が書かれていて、数字もきっと都合のいいものだけを引用しているはず。だから鵜呑みにはできないけど、それでも井上ひさしの情熱は十分に伝わった。
彼が結局何を言いたかったかといえば、それは次のことに帰結すると思います。

  日本政府は日本の米を切り捨てようとしていて、これが悔しい


◎やはりタダ者ではなかった、コメ

・コメは穀物の中で唯一、リジンを除く全ての必須アミノ酸を備えてる超バランス食

・1ヘクタールあたりの穀物収量は5トンが限界といわれているが、日本や韓国などの限られた国の水田だけは、これを上回る

・かつて明治政府が招聘したドイツの農学者マックス・フェスカは、「日本の川は滝のようである」と指摘した。滝のような川を抱え、降水量も少なくはない日本が水害を免れているのは、300あるダムの4倍の貯水量をもつ水田によるものである


著者の語るコメと水田のもたらす利益は、もう挙げたらきりがないので書きません。
ただ、農業のあり方というのは人と社会の根源的なところを形成していて、日本を考えるとき水田の物理的・社会的役割は無視できないと思いました。



「おれたち百姓は、一生かけてもうまくて50回、下手すると30回しかコメを作れない」

この言葉がグッときましたねえ。
『カムイ伝』の影響か、百姓と言うと単なる「労働者」「搾取者」のイメージが離れなかったけど、彼らは偉大な「実験者」でもあった。
日本は一部地域を除いて一毛作なので、年に一度しかコメを作れない。
水田という巨大な構造物(思われてるよりデリケートなんですよ)を整備し、準備を済ませて苗を植え、その年その年の気候を読みながら収穫を進めていく、その一つ一つの作業いかんによって収量は大きく変わるけれど、こうした実験は年にわずか1回しかできないんです。

最近は温暖化の影響もあって、北海道など緯度の高いところのコメがおいしくなりました。本来南国の作物であるはずのコメがここまで北に進出できた背景には、年に一度の実験を数百年と繰り返したことが背景にあって、ありがたいなあと思います。
(09年のコメの品評会で全国一とされたコメは、新潟を下して山梨の山間部のものでした)



「僕らの子供の時には、百姓の作るものを皆がまってるんだという時代でした」

待ってますか?
何でもamazonで買えるこの時代、誰が作ったかなんてほとんど意識しないのでは。
「○○町の□□さんが作りました」って表示もたまにあるけど、あれは感謝のためというよりは品質保証目的。農家に直接手紙でも書いてお礼を言った人って、果たしてどれだけいるんだろう。
食べ物をブラックボックスのブランドとしてみるのは、なんだか寂しい気がします。

いまや食べ物は水道管や電線から送られる水か電気のようになっていて、問題なのはどの食材を「選ぶか」。電気製品と並列に、数ある商品の1つに過ぎません。
今は夏だからキュウリが生えてきてくれてありがたい、という感覚を感じられないのは僕だけ?

食べ物を大切に、という議論もあるけど、「どこかの国には食べられない人もいるから」という下方比較ならもうたくさん。ただの土くれから食べられるものが生えてくるという自然現象、そしてこのような制御を成し遂げたことへの畏怖が、欠落してはいないでしょうか。


タタミの田んぼ



◎コメと世界と未来

著者が本書で紙幅を割くのがアメリカの横暴
ニクソン戦略や外国法無視など、1990年は本当にアメリカがジャイアニズムを爆発させていた時代なんだなあと思います。そして著者からみれば、日本政府はアメリカに刺激されるままに米産業を限縮させようとしていたようです。
これに異を唱える著者には僕は賛成ですねえ。

ここでは、本書で紹介されていた2つの事例を紹介したいと思います。


「緑のヨーロッパ」
ヨーロッパでは、農業と農村は単に1つの産業や地域であることを越えて、人々の生活や地域経済の基本と位置付けられ、多少の経済効率を異性にしても保護すべき対象と考えられている。

「蚊のいる国といない国」(P104)
蚊のいる国といない国を比べてみると、蚊のいる国では蚊取り線香や防虫スプレーの需要が生まれ、蚊に対するための産業が興り、蚊のいない国よりもGDPは増すだろう。
ではGDPの少ない、最初から蚊のいない国は、不幸な国か?


今後世界の人口が増えて、食べ物が希少化していくのは周知だけど、食糧生産て工業製品と違って企業の努力だけで簡単に出来ることじゃないと思う。野菜工場とかも成功はするだろうけど、それがマジョリティになれるとはまだ思えない。
まだまだ土地を使った生産が必要で、土地にはその土地に適った耕法があって、それを実現する社会の仕組みが必要で、そうした「体系」に基づいて取り組む必要があるはず。
そのためにこそ「政策」はあるはずなんだけど、そのとき「お金」を第1に追求するいまの社会構造でどれだけやれるのか、僕は疑問に思います。

本書からの知識でしかないけれど、農業を軽視して高次産業にばかり力を注ぐのは違うと思う。
今後アジア諸国が加速して、世界の中での日本の位置づけも変わっていく中で、進むべき道はどこにあるのか。このあたり、上記2つの事例が参考になるように思うんですが。



** 著者紹介 **
井上ひさし(いのうえ ひさし)1934~2010
小説家、劇作家、放送作家。その戯曲の完成度の高さは現代日本おいては第一級のものであり、数々の役職を含め、日本を代表する劇作家として確固たる地位を確立してきた。劇団『こまつ座』の座長でもある。
日本ペンクラブ会長、日本文藝家協会理事、日本劇作家協会理事などを歴任。
代表作に『ひょっこりひょうたん島』『吉里吉里人』など多数。
(wikipediaより)


Otoya

=== ノート ===


◎日米関係と日本の政策

・ニクソン戦略(P21)
①低価格販売や援助物資、融資と言う形で、輸出先相手国に米国の農産物を魅力的なものに思わせる
②相手が乗ってきたら「自由貿易」の名の下に相手国の関税などをやめさせて、輸出しやすくする
③相手がアメリカに依存したら、作付け制限などで不況状況を作り、値段を引き上げる


・アメリカの横暴
 -P160、P216・食管法違反、P292・国際標準化による攻勢

・日米の補助金比較(P255)
米国の農家の補助が89年の農場あたりで5万5000ドル、これは小麦の28倍、とうもろこしの12倍。このくらいないとやっていけない。
日本はわずかに36万円。

 →農場の規模が違うとはいえ、さすがに差がありすぎなのでは

・前川レポート(86年)

・塩害によるメソポタミアの滅亡(P27)
灌漑農法により栄えたが、塩害により国土が砂漠化して滅びたと言われている。
米国でも同じことが起こっているとか。



◎数字まわり、予測など

・豊かさと肥満(P197)
人間は食生活が向上し食料の摂取量が上昇するとともに、まず肉や酒を好んで増やし(年間350Kg)、次にアル中が出始め(400Kg)、痩身産業が成立し、最後に穀物が副食となり、肥満体が当たり前の状態になる(450Kg)。
 →文化にもよると思うが。

・国民総生産と農業(P88)
国民総生産を100として、農業総生産は昭和40年に6.8、昭和59年には2.4。関連産業を考えた場合には国民総生産の11%を占めている。就業人口は全産業の24%。
 →ただし全体的に産業の伸びを考慮すべきことを忘れずに

・江戸と現代の収量比較(P174)
-江戸元禄期の上田の基準は反あたり1石5斗
-88年の宮城の大凶作では、反あたり5俵、石になおしておよそ1石8斗~2石
(5俵=300Kg)


・人口予測
-人口過剰と食糧不足を指摘した『人口論』(英、マルサス著、1798)、このとき世界人口10億人
-1990年時点で50億人
-2020年78億人(国連予想)
-2100年に静止人口104億人に達すると予想


・B.ジラントの学説より(P188)
世界の耕地化は1990年当時から7.7%アップが限界
1ヘクタールの穀物収量限界は5トン
年間一人当たり必要な食料は穀物換算で1トン
よって限界まで収量を上げてそれが完全に流通したとしても、予測人口78億人の2020年には3億人が餓死する。



◎その他

・各国の農業のあり方(P235)
有史以前から積み重なった仕組みが、その農業構造に蓄積され、変えることは難しい
米国は自然と対立、愛座は自然との合作
 →新大陸(米、カナダ、オーストラリア)は白地に新規開拓できたため大規模農業が発展した


・ECの輸入課徴金制度(P292)
 →今後何かの参考になるかも

・その他
-農業は利益を生むが、工業は利益を生まない
 →これは利益を何と捉えるかの問題なので、一概にこういうことは言えないと思う
-費用対効果を考えたとき、野菜工場で穀物は作れないと言う予想(モンサント)(P93)
-土地生産性は灌漑率に比例する
-肥溜めの水は飲める(P112)

 →マジすか
-農村は巨大な人口調整装置(P178)
 →それはどうかと思う
-通常は小麦から米に移行する
-ドイツは馬鈴薯、フランスはブドウ、アメリカは綿花と落花生。日本は米を(P300)



◎所感など

・インターネットの普及に伴い、よりP2Pでの商取引が可能になって、よりP2Pの産業が生きられるようになってくる(いわゆるロングテール)。また、『科学技術者の見た日本・経済の夢』で第4次産業の普及が述べられていて、この2つの融合がおもしろいんじゃないかと以前考えた。さらに本書の「緑のヨーロッパ」も併せて考えてみると、おもしろい答えが得られるかもしれない。

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テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

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社会/政治 | 22:37:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
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