2011-03-26 Sat
価値とは何か、美とは?このマンガを読む限りでは、前者を「ビジネス」と置き換え、後者を「人生」と解釈できるかもしれません。
置かれた状況下でなんとか口を糊そうと糧を生みつつ、その苦労の上でアイデンティティを探ろうと足掻く。そういった生きることの辛さと意味を、こうもおもしろおかしく見せ付けてくれちゃうんだから、このマンガは本当にたまりません。

『へうげもの』
山田芳弘著,講談社,2005年12月~
現在『モーニング』にて連載中,単行本①~⑫服
★★★★★
第32回講談社漫画賞一般部門ノミネート
第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞
第14回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞
第1服~8服のレビューはこちら

◎なぜ家康は古田左介を危険視したか?
幕末維新の引き金が黒船来航にあったとしても、革命に至った最大の原因は他にあったのではないか。司馬遼太郎の説ですが、それが二重経済。
幕末には米と金という2つの価値が並存し、幕府の直接支配できない金の価値が高まったため、階級社会の矛盾が高まり革命機運を醸成する一因となった、と司馬遼太郎は言います。
「価値」の統制ができなければ支配はできないのであれば、逆に、ある価値観(宗教でもカリスマでも経済でも芸術でも)が統一された範囲が、統治の及ぶ範囲と言えるのでは。
支配者は歴史上、統一の過程で様々な価値の単一化を図ってきました。ローマ帝国も後期にはキリスト教を国教化したし、始皇帝の度量衡もそうだし、その意味では近年のEU統一なんかも大いに参考になるかもしれません。
明治日本も、それまでになかった「日本語」という言語を新たに作りました(たとえば「お父さん」「お母さん」はこのときの造語とか)。国民戦争である世界大戦では特に、国家の思想統制(価値観の統一)が重要な意味を持っていました。
『へうげもの』で徳川家康が古田織部を危険視するのは、この辺りにあるかもしれません。
自ら作り出した製品にあの手この手で付加価値を付け、様々な販路で富と、そして目に見えない「価値」を生み出す織部正は、ビジネスを知らない家康からすれば魔術のようにも思えただろうし、脅威だったことでしょう。
◎秀吉との「友情」はラストシーンへの伏線か
こうした歴史モノを見るとどうしても登場人物をwikipediaしてしまいます。
ついに豊臣の時代(言わば本作の第2部)が終わろうとする中で、関心が1615年に及んでしまうのは仕方のないことですよね。
ここで作者来る1615年に対して、家康が織部正を危険視する理由を伏線として描くとともに、もう1つの伏線を張っています。それが秀吉との「友情」。この友情はもともとは本能寺の変での信長討ちに端を発していますが、ここまで考えてあのシーンを描いたとしたら恐るべき作家だと思います。まあそうではないにしても、こうしたシーン間の結び付け方は大好き。
まだこの時点では友情に殉じない織部正だけど、このことが後年にどのように影響していくのか、クライマックスが待ち遠しいですね。
時代の人が華とわびと、豊臣とそれ以外と、多様な価値観に揺れ動くさまがうまく描かれている本作。
こうした価値の多様化自体が時代の混乱を孕んでいると思うのだけど、翻って現代は、価値の統一が図られているんでしょうか? あるいは価値がこのまま多様化を続けたとして、どんな社会が出現するんでしょうか。
マンガから離れて、現実の時代についても、そうした変化を辿るのが楽しみです。
それにしても、ひたすら追い求めた数寄が趣味から仕事になって、やがて事業になる。このあたりの商品価値の生み出し方は本当に巧みに書かれているし、それに従事するサラリーマンの姿をよく描いてます。すごい本だなあ。
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** 著者紹介 **
山田芳裕(やまだ よしひろ))1968~
個性豊かなキャラクターと、オリジナリティの高いストーリーで読ませる作家。『大正野郎』のレトロチックな描線やコマ割り、『デカスロン』の過剰なパースペクティブ、『へうげもの』のキャラクターの異常な表情など、作品ごとに個性的な切り口の工夫があり、この作家の特徴として受け入れられている。
デビュー作以来、人間の持つ独特のこだわりをテーマにした作品が多く、ユーモラスに、時には悲壮に、主人公のこだわりと世間一般の常識との乖離を描いて人気を得た。
他に『度胸星』『ジャイアント』など。
(Wikipediaより)
Otoya
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