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【科学】 『クオリア入門』
「アハ!体験」で有名な茂木健一郎氏。
彼の扱うテーマは、脳ではニューロンの発火が起きているに過ぎないはずなのに、なぜ心が宿るのか。メカニズムとしての脳と心の関係を模索しています。

sing2も以前茂木さんの『感動する脳』をレビューしていますが、僕も1冊読んでみました。
本書『クオリア入門』では、2006年時点での著者の思索の成果をわかりやすくまとめています。1997年の『脳とクオリア』という著者自身の本が下敷きになっていますが、いきなり本書から読んでもしっかり理解できると思います。


クオリア入門―心が脳を感じるとき (ちくま学芸文庫)
 『クオリア入門』

 茂木健一郎著,ちくま学芸文庫,2006年3月
 ★★★★

 <目次>
 1.心は脳内現象である
 2.脳の中の相対性理論
 3.心が脳に宿るとき
 4.主観性としての「私」
 5.心はどこにあるか?
 6.「私」の見取り図
 7.脳と環境の相互作用
 8.「私」が私であるために







========


◎本書の成果は脳の階層化を示したこと

まず前提ですが、本書は著者が知った色々な概念・事象を組み合わせての仮説であって、科学的根拠が(少なくとも本書では)示されていない部分もありました。また、読みやすさを優先したためか飛躍もあるように感じます。それでも、脳のモデルの1つとしてはおもしろい提示だと思いました。

例えばネットワークを考えるとき、OSI参照モデルというものがあります。これは物理的な配線から通信プロトコルの確立、そしてwebページのようなアプリケーションの実現まで、ネットワーク構造を7階層にわけたもの。
脳についても同様に、ニューロンが単に脳内で発火するところから、我々が機能として外界を認識し、そして心が駆動するまで、いくつかの階層に分けて考えることができるようです。
本書では残念ながら再高次の階層、すなわち「心」の発生のメカニズムまでは明らかにされませんでしたが、低次階層についての仮説を読むだけでもかなり楽しめました。

  「心」
   |
   |
  主観
   |
  志向性
   | 
  ポインタ
   |
  ニューロンの発火
   |
  視神経など感覚器官の化学変化


議論は色々ありますが、0と1とかポインタとか、コンピュータサイエンスの考え方がたくさん使われているのがおもしろかったです。これらは「両眼視野闘争」「ブラインドサイト」などの臨床現象を参照しつつ説明がされ、「身体が認識すること」と「心が認識すること」の差別化・階層化が図られていました。



◎ナウシカが墓所を閉じた理由

宮崎駿の『風の谷のナウシカ』で、最後にナウシカは巨神兵を使って、古代の科学技術が伝えられた「墓所」と呼ばれる場所を破壊します。
その理由を考えるにあたり、『クオリア入門』の以下の指摘が参考になるかもしれません。

ニュートン以来物理学を規範とする自然科学が依拠してきた、「宇宙とは自然法則にしたがって時間発展する物質からなるシステムであり、私たちの脳を含む体も、そのような宇宙の一部である」という世界観には、そのどこにも心の存在を受け入れる余地がない。ニュートン的な世界観は、本質的に心という存在を予定していないのだ。

腐海や王蟲は人間に創られた段階では、単に汚染を浄化するだけの分子機械に過ぎませんでした。これらを創った人間たちにとって、森や蟲は単なるシステムであって、「心」の存在を予定していなかったはずなんです。にもかかわらず腐海や蟲たちには「心」が生じ、しかもそれは個別のものではなく集合としての意志でした。
この繊細な「心」の存在を守ろうというのが、ナウシカが墓を閉じた理由の1つじゃないかと思います。「心」こそ生命の意味だとして、墓所の存在を許すことは、心を人の手で拘束し心の存在を踏みにじることになるからです。

ナウシカ


また本書では以下のようにも述べられています。

ニューロンの発火という物質的過程自体には何の特別な性質もなく、重要なのはその相互関係だけだとすると、ニューロンの発火以外の物質的過程における相互作用の関係からも、クオリアが重生起してきてもよさそうである。

これってつまり、0と1の集合でありさえすれば(さらに言えば0と1でさえなくとも)、心はどこにでも生まれうるということになるのでは。
例えばハードディスクやメモリは電気的極性で0と1を表現するし、人が立つ/座るにも0と1はあります。これらが、0と1の個別レベルには認識できないまでも、集合として見たときに何らかの意味があるならば、あるいは教室の生徒の男女の並びにすらも「意思」は存在しうることになります。



◎心は単に随伴現象に過ぎないのか?

著者が述べる通り、「心」という属性を考慮に入れなくても、脳の中のニューロンの振る舞いを物質として記述することは可能です。解析を続ければ、ニューロンの発火パターンのマクロ分析だけで人間存在を定義できるかも知れません。
では「心」の存在理由とはいったい何なのでしょうか。

磁石とコイルのように、つまり電場と磁場のように、身体的なニューロンの発火と精神的な心の駆動は相互に連関しフィードバックしあうものなのでしょうか。心は何らかの意味を持っていて、生き物が生存を続ける上で不可欠な機能の1つなのでしょうか。

それとも心は例えば影のようなものに過ぎないのでしょうか。物が存在すれば必ず影ができますが、影が物体の動きに追従しても、物体が影の影響を受けて動作を変えることはありません。
心はこのように、たまたま観測者である心自身が自らを観測できるだけのことであって、物質的現象としての生命活動には意味がないことなのでしょうか。

後者であれば、上述の「教室の男女の並び」にもやはり心は発生していて、ただしそれは「教室の男女の並び」自身にしか観測できない感情ということになるでしょう。僕たちの「心」が物理世界とは離れた次元にあるとして、「教室の男女の並び」の心もどこかの次元には存在するのかもしれません。


ノヴァ教授



すこし話が本書の主題とは外れましたが、脳と心を巡る議論は当分解決することは無さそうです。それでも、メカニズムが1つ1つ解明されて、心にたどり着くまでの階層が1つずつ明らかになればおもしろいと思います。
心と脳の問題に興味のある人はぜひ読んでみて下さい。


** 著者紹介 **
茂木健一郎(もぎ けんいちろう)1962~
ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。東京大学で理学博士を取得し、理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。
「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係(心脳問題)についての研究を行っている。また、脳と神経に関する一般読者向けの解説書を多く執筆し、テレビ番組や雑誌、週刊誌などマスメディアで積極的に活動している。ただし、「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には批判意見もある。所得の無申告事件なども起こした。
著書に『「脳」整理法』『脳とクオリア』『芸術の神様が降りてくる瞬間』など多数。
wikipediaより)



** 関連レビュー **
『感動する脳』
Otoya

=== ノート ===


◎用語など

・クオリア …心の中の表象の最小単位(P46)

・反応選択性

・マッハの原理

・視覚的アウェアネス(P90) …「なんとなく見えている」という暗示的レベルの見え

・重生起
ニューロンの発火と私たちの心の中のクオリアが「ぴったりと寄り添っている」という関係性の構築がマッハの原理の下では重要であり、物理空間と心の空間との対応付けを考えたのでは捕らえられない。両集合を用意しての素朴な二元論ではない。(P99)


・ホムンクルスの問題
 →ホムンクルスを定義したとしても、層構造となっている脳の概念の1枚1枚がはがれていくなら良いのでは?



◎ニューロンの発火のフェイズ

・「認識に関する限り、発火していないニューロンは、存在していないのと同じ」という仮説があるがこれは違っていて、0と1は1のみが意味を持つのではなく0もまた意味を持つ(シャノン)。ニューロンは個別に「反応選択性」を持つわけではない。
 →ただし群として捉えた場合にはどうなのだろうか。ニューロンの発火の有無を0/1としたとき、ニューロン群のコードは言語となるはずで、意味をもつ何かしらの単位が存在するかもしれない。この仮定の下では、群について反応選択性はありえるのでは?

・ミラーニューロン(P244)
 →学習、他者の精神状態の推定、などに使われる?
 →感覚情報と運動情報を同一の情報フォーマットで処理するために必要な機能?




◎ポインタのフェイズ

・両眼視野闘争(P130)
 →ポインタの概念がここから生まれる。クオリア、視覚的アウェアネスは両目に生じるが、ポインタが重複部分について選択を行う


・ブラインドサイト(P169)、変化しているのはクオリアではなくポインタ(P186)
 →下記のように自由端のポインタが駆動しているものと考えれば良いのか

・運動をコントロールするポイントは、クオリアという行き先を持たない「自由端のポインタ」(P249)

・ポインタ自体もクオリアか。ポインタとクオリアの結びつきが認識となる(P189)
 →脳が分子機械であるならば、ポインタや主観性もクオリアと同様にニューロンの発火群のコードにより生じていなければならない。

・志向性のなかの1つとしてポインタがある(P274)
 →発話は無意識に行われる。志向性は視覚クオリアだけでなく、無意識にも向けられる。このように視覚クオリアなどに向けられるのがポインタで、無意識も含む広い概念を指すのが志向性


【個人的なまとめ】
・ポインタとクオリアが結びついてはじめて認識が生まれる。(ただし認識できるかどうかはまた主観性の問題になる)
・ポインタのみの場合もある。これは高次から発せられた命令(主観など)を起点にうまれるポインタか
・志向性と言う少し広い概念の元にポインタはある



◎主観性のフェイズ

・クオリアの集合が私たちの心に見えるようになるのは、「私の心に○○が見える」という主観性の構造による。心の中で認識されるものの性質と、「私が○○を認識する」という認識を成り立たせる構造は別である。(P147)

・「私」とはクオリアに向き合っている何か(P227)
 →つまり高次にある存在(おそらく主観性よりも高次の、主観性を駆動する何か)が、強いて言えば「私」であり「心」。この高次の存在(というか機能)が、クオリア(低次の認識)に向かって指示をする
 →結局ホムンクルスの問題になるわけだけど、いくつかの機能がクオリアや主観性としてはがれて、「私」が高次であることがわかるなら、現時点ではホムンクルスであっても良いのでは

・アフォーダンス(行為の可能性)(P240)、クオリアは視覚情報とともにアフォーダンスの塊としても認識される
 →外部からの情報を読み取るだけでなく、自分から行為する場合に、思考がどう生まれるのか(そこにトリガはないはず。思考するきっかけとなる現象が外部にあったとしても、その後される具体的な動作それ自体は、フィードバックの連続により動的に行われるのであって、事前にあるのは漠然とした目的だけであるが、それは何から生じるのか?)
 →クオリアの集合がアフォーダンスあって、クオリアより1つ上の次元にあるのでは?

・向けられる志向性自体が自立した構造、意味を持っている(P269)
 →ブラインドサイトの場合も、クオリアがなくとも志向性が物体を認識させる。というより、志向性がクオリアを生み出している?
 →カニッツァの三角形の例はポインタだと書かれているが、志向性が三角形であると認識したとき(学習したとき)、そのときにはクオリアは生まれているのでは。志向性により生み出されているのでは

・言葉や音を理解するということは、視覚のクオリアに抽象的な知覚=志向性を貼り付ける作業(P271)
 
・高次になるほど抽象的になる
 →つまり細かいINPUT/OUTPUTを吸収する構造か。ある意味オブジェクト指向。クオリアはニューロンの発火群からなっていて、1つのオブジェクトを形成している。また何らかの認識に対して志向性が貼り付けられるとき、オブジェクトが生まれ、以後はこのオブジェクトが呼び出される。



◎心の存在の意味について

・「心」が随伴現象であるならば、「心」という属性を考慮に入れなくても、脳の中のニューロンの振る舞いを物質として記述することはできる(P31)
 →電磁誘導のように脳の動きと心の間に相互のフィードバックがないとしたら、「心」の存在は「心」によってのみ意味があることとなる
 →志向性や主観性、あるいはそれらよりも高次の判断機能も含めて、それがニューロンの発火群に伴って生じるシーケンスだとして、そこに心の必要がないとしたとき、「心」はそれら物理現象を射影した影に過ぎず、それ自体に意味はない。物の動きに影からのフィードバックはなく、影はただ物の動きに応じて観察されるに過ぎない。このような場合、心は心によってのみ観測される。

・ニューロンの発火という物質的過程自体には何の特別な性質もなく重要なのはその相互関係だけだとすると、ニューロンの発火以外の物質的過程における相互作用の関係からも、クオリアが重生起してよさそう(P280)
 →0と1を表す方法はたくさんあると言う意味か。例えばハードディスクやメモリは電気的極性で0と1を表現するが、物理的な凹凸でも構わないし、人が立つ/座るで表してもよい。0/1のコードが何らかの意味を持つものとすれば、ある教室の生徒の男女の並びにすらも「意思」は存在しうる。ただしそれを認識できるのは、生まれた意思そのものだけになるが

・ニュートン以来物理学を規範とする自然科学が依拠してきた、「宇宙とは自然法則にしたがって時間発展する物質からなるシステムであり、私たちの脳を含む体も、そのような宇宙の一部である」と言う世界観には、そのどこにも心の存在を受け入れる余地がない。ニュートン的な世界観は、本質的に心と言う存在を予定していないのだ。(P286)

・ナウシカの腐海の蟲たちも、設計者は単なる浄化のための生物機械としてしか用意しなかったが、蟲たちの集合は「意志」を発現した。この予想外に生まれた意志を尊重して、ナウシカは墓を閉じた?


・・・

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

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科学/技術/専門 | 00:29:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
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