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【映画】 『ノルウェイの森』
12月11日に公開された映画『ノルウェイの森』を観てきたのでレビューしたいと思います。


ノルウェイの森(映画)
 『ノルウェイの森』

 トラン・アン・ユン監督,松山ケンイチ主演,
 2010年12月

 ★★

 映画公式サイト 

 原作:村上春樹著『ノルウェイの森』










村上春樹は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』しか読んだことがなくて、今回初めて小説『ノルウェイの森』を読みました。が、前夜に読み始めたので間に合わず、ミドリが髪型を変えたことに気付かないワタナベに腹を立ててベンチで手紙を渡したところで、映画を観てしまいました。
でもまあ小説8割まで読んで映画ってのもまた新しいしいいかなと。

しかし村上春樹はホントにお酒が飲みたくなりますね。明日会社だけどついウィスキーを開けちゃいました。冷やしたグラスにボウモアを3センチだけ入れて、ゆっくり舐めながらこのレビューを書いています。つまみがファミマのプリンで本当に申し訳ない。でもウィスキーって甘いもの合うよね。

小説のレビューも書きますが、まずは映画の感想を。


========


◎2時間、しかも映像に収めるのはやはり難しいのでは・・

率直に言ってイマイチでした。
映画に収めようとすると、どうしても「足りなくなってしまう」と思うんです。小説の空気感が詰まり切れていないような。

というのも、小説って読む人の想像力に拠るところが大きいですよね。
羅列された文章はあくまで読者に入力するためのソースコードであって、読者がこれらのコードをそれぞれの脳みそを介して投射することで初めて、物語が展開します。
マンガのふきだしは文字ですが、読むときには「音声」として認識されているそうです。
小説も同じで、読者は文章を追いながらも、声や音や風景や匂いを、脳裏に響かせていくんです。

ところが映画になってしまうと、撮影機材やスタッフや俳優やロケ地や、そうした「具体的なモノ」に一旦エンコードされることになって、どうしても自由度が低くならざるを得ません。
松山ケンイチが画面に現れたら、もう観る人にとってワタナベは松山ケンイチで、ワタナベの動作は松山ケンイチの動作に縛られてしまうんです。

『インセプション』とかなら小説よりも映画で観たいけど、文学はやはり文章で読んでこそでは。
村上春樹の書く文章の空気感、少しどんよりとした雰囲気、主人公のみる世界観、根底に流れる音楽……。そうしたものはやっぱり文章で読まれて、個々の読者それぞれに解釈されて、はじめてカタチにすべきものだと思うのですが。
いま映画化する理由が僕にはわかりませんでした。
あと、原作読んでないと置いてけぼりな気も。



◎不自由になることで選ばれたもの

映画にして自由度が失われた一方、自由度が減るということは「選ぶ」ってことなんですよね。
2時間という枠、1人しか選べない俳優たち、1つしか選べない舞台、1つしか選べない音楽。そうした制約の中で監督が選んだものを観るのは、彼の読んだ『ノルウェイの森』の解釈を知ることなんだと思います。
文学作品だからこそ、他人の解釈を知るというのはおもしろくて、ちょうど僕が読みかけだったこともあって、より重層的にこの作品を知ることができました。


突撃隊や永沢さんといった脇役があまり描かれていなかったのは残念でした。
彼らはワタナベにとって、直子やミドリといった言わば利害関係者ではありません。そんな彼らと触れるワタナベを見ることで、ニュートラルなワタナベを知ることができると思うのですが。
まあさすがに2時間じゃ仕方ないか。

直子がどちらかと言うと「負担」として描かれていたのが気になりました。
小説では彼女に惹かれる様子、彼女を深く知るまでの過程が描かれていましたが、映画ではそれらよりもヒステリックな描写に比率が割かれていたと思います。
ワタナベが「負担」と思っていたかはわかりませんが、位置付けとしては「重い」だった。惹かれる過程を省いてしまうと、彼の「義務感」が必要以上に目立ってしまう。

そんな直子に対してミドリ。彼女もまたその背景や性格の描写が省かれていて、ちょっと苦労はしてるにしろ「普通の女の子」に見えてしまう。個性的なとここそちゃんと描かれていたけれど、心を病む直子と対比したとき、彼女はワタナベにとっての「俗世の女の子」に思えるんです。
ワタナベにとって本当に彼女じゃなきゃいけなかったのか、も映画の描写からはわからない。

その上で描かれていたことが、ワタナベにとって彼女らがとても大切な存在だということ。ワタナベは直子に向き合い彼女の死に泣き、ミドリに対応して気持ちを伝えました。



◎それで結局何が伝えたかったのか?

「何が言いたかったのか?」って嫌な質問ですよね。ストーリーや作者の考えの芯を知ろうとすることはとても大切なことですが、言葉にできずとも、みた人の心に何か訴えるものがあればいいじゃないですか。

この映画では、色々な過程が省かれたことによって、僕はワタナベに混乱してしまいました。
ワタナベにとって直子はどういう存在だったのか、負担に思える彼女を守ろうとし続けたのは義務感だけなのか、でもそうならなぜあそこまで悲しんだのか。ミドリは彼の青春にどういう影響を与え、なぜ「大好き」と言えたのか、本当にミドリじゃなきゃダメだったのか、たまたまいたのがミドリだったに過ぎないのか。

これがよくわからない。
いったい何が伝えたかったのか。よくわからないってことしか伝わらなかったよ。

でも結論としてはそれで良かったんじゃないかとも思ってきました。
2杯目のウィスキーが回ってきたからとかじゃなくて、「どうしたらいいのかわからない」という先の見えなさがこの物語の持つ顔の1つだから。
キヅキは17歳のままで、直子も21歳から変わらない。でも自分は生きることを選んだ。
訪れるめまぐるしい変化や混乱が、1969年という時代にもよく表れていました。何もわからなくても、何かを選ばなければ先に進むことはできないんです。

もしかしたら直子やミドリとの関係性の具体的な話よりも、こうした漠然とした感情の存在を彼らを通して描きたかったのかもしれない。『ノルウェイの森』を読んで一番に抽出したかったのがそこだったのかもしれない。僕はそう解釈しました。

ラストは解決したようで解決してない、よくわかんない感じだったんですけど、とにかく後味の残る映画でした。この釈然としない後味が監督の意図したものだとしたら、伝わってるんじゃないかなーと思います。


小説の方もあとちょっとなので、読むのが楽しみです。


** 監督紹介 **
Trần Anh Hùng(トラン・アン・ユン)1962~
ベトナム出身の映画監督・脚本家。
12歳のときにベトナム戦争を逃れるため、両親と共にフランスに移住し、パリ在住。
『青いパパイヤの香り』(93年)でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人賞)を、『シクロ』(95年)でヴェネツィア国際映画祭のグランプリを受賞した。
wikipediaより)

Otoya


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映画 | 02:09:18 | トラックバック(3) | コメント(0)
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