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【時代小説】『島津奔る』
『島津奔る』
『島津奔る』上・下

  池宮彰一郎

  新潮社
  2008年02月
  第12回柴田錬三郎賞

  ★★★

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豊臣秀吉の死をきっかけに石田三成徳川家康の抗争を経て勃発した天下分け目の大決戦、関ケ原の戦い
この戦いでは、東軍西軍それぞれ約8万人の軍勢が大激突しました。
そんな中、わずか1500人という寡兵ながら、他の軍隊が全く手出しできず、敵主将家康軍の真横を通り抜けて退却、しかも負けた西軍(三成)に就いていたにもかかわらず戦後に本領安堵(お家存続)という驚くべき功績を残した大名がいたことをご存知でしょうか。

それが本作の主人公、薩摩の島津義弘です。



本書は、戦国時代を通しても指折りの名将に数えられる島津義弘を中心に、秀吉による朝鮮出兵から関ヶ原の戦いまでを描いた歴史小説です。
時は戦国末期、天下を治めた太閤・豊臣秀吉の肝煎りで始まった朝鮮出兵から物語は始まります。
周囲の反対を押し切って始められた朝鮮出兵ですが、2度目の出兵・慶長の役(1598年)の真っ最中に言い出しっぺの秀吉が他界したため終息します。


さて、そんな朝鮮出兵。
実は、大陸への侵攻とは別に、もう1つの意外な目的が隠されていました。
それは、日本国内の景気対策
当時の日本では、応仁の乱(1467年)から100年以上続いた戦の軍需による好景気が続いていました。

ところが、秀吉の天下統一、更には刀狩令を受け、軍需が急激に縮小。
それに伴う大規模な不景気が懸念されたのです。
そこで、当時の日本のトップ秀吉(&三成)は、
 ①軍需を“緩やかに”減らし、
 ②経済対策を行う時間を稼ぎ、
 ③諸大名の力を削ぎ、
 ④諸大名の忠誠心を試す
という目論見の具体案として、朝鮮出兵を計画し実行に移したのでした。

ちなみに、この話が漏れれば、やっと統一した政権なんて意味をなさないほどの大混乱が生じます。
当時これに気付いた人物は、秀吉・三成・家康・義弘など、先見の明があるごく一部の大名のみでした。

朝鮮出兵にこんな意味があったとは、驚きです。
しかも現代でも学ぶべきところがありますね。



余談ですが、このとき大陸から連れて来られた朝鮮人により、学問・技術・芸術など多くの文化が日本に伝えられました。
例えば、李参平らの採掘・製磁技術。
これが有田焼として柿右衛門様式・鍋島焼・古伊万里などに発展していきます。
(更に余談ですが、椎名林檎のアルバム『加爾基・精液・栗ノ花』のジャケット写真に使われているのは館林古琳庵の有田焼です)
個人的にはその辺の文化が好きだったりするのですが、それはまた別の機会に。




話を戻して。
秀吉の死により、三成と家康の対立が表面化し始めます。
厳格な官僚の三成と、老膾で小心者の家康
どちらも、日本中の諸大名を支配下に置き、天下を手中に治めたい。
当時、戦国大名として名を馳せた名将は大半が他界し、ボンボンの2世大名が増え始めていました。

そんな中、飛び抜けた軍事力の薩摩兵と、日本経済の将来を的確に予測する頭脳を持つ義弘に、三成も家康もビビります。
仲間に出来ればこれほど心強い軍勢はないのですが、薩摩の強い意志の前に、どちらも扱いに困ります。

義弘の意志とは、家康・三成の対立でどちらが勝利しても薩摩を存続させること。
例え戦になり味方が負けたとしても、薩摩には手出しが出来ないような負け方をすること。


始めは中立的立場を貫いていた義弘も、薩摩の国許での権力争い、家康・三成の対立の激化、家康・三成からの勧誘、といった時代の流れに巻き込まれます。
結局、島津は、関ヶ原の戦いでは西軍(三成)として出陣することになりますが、 義弘は、どんどん変わる厳しい状況下でも思案を巡らせ、様々な工作をします。



島津を救うため、義弘のとった驚きの行動とは?
戦に負けても、戦勝軍の大将にさえ手出しさせないような戦い方とは?
そして、島津の「奔り」とは、いつ、何の為か?


作中で、島津は2回奔ります。
2回とも、とても熱い思いを秘めて、決死の覚悟で臨む大走破です。
家臣を大切に思う義弘の執念と、義弘を主君として敬い慕う薩摩隼人の真直ぐな情熱に支えられた「奔り」に、島津の漢気を見ることができ、素直に感動しました。
私の島津贔屓が加速したことは言うまでもありません。



** 著者紹介 **
池宮彰一郎
1923年5月16日 - 2007年5月6日、静岡県沼津市出身。脚本家、小説家。代表作『四十七人の刺客』、『十三人の刺客』。(wikipediaより)



** 参考文献 **
関ケ原ブログ 」さん

** この作品をレビューしている他サイト **
時代小説県歴史小説村」さん
ちびと本と日々のこと」さん

sing

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関連するタグ sing 【小説】 【時代小説】 池宮彰一郎 【文芸書】
時代小説 | 17:16:12 | トラックバック(1) | コメント(2)
コメント
ちびと本からこんにちは~
とらっくばっく、ありがとうございます。
池宮彰一郎さんは、『四十七人の刺客』もおもしろそうですね。
またのぞきに来ます。

読書は楽し♪♪
2009-05-13 水 00:59:24 | URL | パパ [編集]
Re: ちびと本からこんにちは~
コメントありがとうございます。
『四十七人の刺客』は未読なのでチェックしてみます。
またお越しください♪
2009-05-16 土 12:54:03 | URL | Otoya Sing [編集]
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池宮彰一郎: 島津奔る
【覚書】★★★★★★★★★☆ 第12回柴田錬三郎賞 薩摩・島津家を通して見た関ヶ原である。 最後の「補遺」で描かれる中馬大蔵の逸話というのが、薩摩が経験した関ヶ原の大変さを能弁に語っている。 「さて...
2009-05-10 Sun 09:28:15 | 時代小説県歴史小説村

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