2009-06-15 Mon
・営業が忙しくて自分の時間が持てない・もういい歳なのに昇進がおぼつかない
・派閥のトップがいなくなり、自分もやばい
・息子がどうしようもないので就活のコネ探しをしてやる
・家が放火された
・そろそろ革命が起きそう
思い当たる節が1つでもある方はぜひご一読をどうぞ。

『定家明月記私抄』
堀田善衛著,筑摩書房,1996年6月
★★★★
さてさて当サイトでは今回より、時代モノの特集をしていこうかと思います。
テーマはズバリ「乱世」。
経済状況の厳しい昨今ですが、これまで世が乱れたときにも、逆境をバネに活躍を遂げ、あるいは自らを守り、生き抜いてきた人々がいました。
そんな観点から、10冊くらい紹介していければいいかなーと思います。
ということで第一弾は本書『定家明月記私抄』。
どちらかというと文化や芸術を読み解いた本ですが、稀代の芸術家の苦境を通し、彼の生きた時代をうかがってみたいと思います。

◎定家ただ下積みの日々…
ということで本論です。
本書は、藤原定家の記した日記『明月記』を読み解いたものです。
と言っても解釈本ではなく、長い年月をかけて読んだ著者の様々な所感が述べられており、感じさせられることの多い一冊となっています。
藤原定家は『新古今和歌集』や『小倉百人一首』を撰進した宮廷歌人。
有名な歌としては、百人一首の次の歌が挙げられます。
来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
そして本書は藤原定家が記した明月記における、19歳から48歳までの記録を紹介します。
定家19歳と言えば1181年。武士による政府・鎌倉幕府成立の前夜であり、天皇に仕え京に住む定家の近辺は無秩序状態。放火に殺人にと不穏な事件が頻発します。
実際に平清盛逝去、源頼朝の登場、北条政子の暗躍と北条氏の台頭などと言ったことにも触れられており、歴史を当事者の視点から眺めることができます。
また同時に、当時における新人類・武士と、これに対しての公家という、異なる文化についても述べられているのも興味深いです。同時代人である鴨長明との比較考察があるのも多面的。
まず日記としておもしろいのは、この激動の時代を描写しているところでしょう。
人生の日記なので、若い頃に殴りつけた相手が晩年の友人になっていたり、といった経過もおもしろいです。
ただ、如何せん本書で紹介する19~48歳の藤原定家は下積みの人。
揺らぐ世情を反映するように、生活に先行きは見えず、何をしても報われず、日々雑務をこなし、営業に駆けずりまわり、その日を生きるのが精一杯。読んでいて本当に哀れです。
晩年に正二位まで上り詰めた大歌人とはとても思えません。
◎定家の残した功績、和歌とは何か?
さて、藤原定家も注目すべき人物ではありますが、本書をおもしろくさせている最大の要素は、著者・堀田善衛による解説だと思います。
著者は要所要所にて時代背景や当時の文化の解説を行いますが、特に力を入れているのが和歌の解説。僕は和歌には全く興味がなかったのですが、著者の魅力ある解説を読んで、和歌の素晴らしさに気付かされました。
たとえば藤原定家の歌に、以下のようなものがあります。
雲さえて 峰の初雪 ふりぬれば 有明のほかに 月ぞ残れる
古文がちんぷんだった僕としては、これだけ読まされてもなんのこっちゃという感じですが、しかし著者は…
「雲さえて」「峰の初雪」「有明の」「月」と、白色あるいは蒼色の色を重ね合わせている。
さらに重ね合わせるだけでは足りず、薄墨の濛々たる背景に音階、あるいは音程を半音程度にしか違わぬ白の色を組み合わせて配し、音のない、しかもなお1つのはじめもおわりもない音楽を構えて出している。
そしてこれは障子絵や屏風絵のような絵画美的なものだけではなく、また横、あるいは斜めにゆっくりと動くともなく動くもの、中に静止しかつ軽く浮くようにして落ちてくるものの動きと、空に月が残ったままであけて来る夜自体の全体的な動きまでがほとんど全的に表出されている。
こうして言われてみるとなるほど、わずかな文字の中にこれだけの情景をこめられるというのは、しかもそれが言葉のみで聞く者にイメージを喚起させられるというのは相当に洗練された文化であると思い知らされます。
そして改めて詠みかえしてみれば、なんとも言えない感動が起こるでしょう。
またさらに著者は言います。
和歌とは和する歌であり、送る歌と返す歌から成る、高度なコミュニケーションツールである。
言葉を巧みに操ることで、様々な意図を情景の中に組み込むことができ、実に政治的な手段と言えた。
明月記における和歌について、定家やその父・藤原俊成と天皇とのやりとりなども紹介されており、和歌が単なる風景画でなく、生き物であることを強調します。
だからこそ歌の前後における生活の文脈を知ることが重要であり、それを知るために『明月記』は活きるのです。
絵や音楽といった芸術は好き。でも和歌にはまだ興味ない。
そんな人こそぜひ読んでいただきたい一冊でした。
◎乱世を経て咲いた華
なんだか「乱世」がテーマの割には、和歌の話に終始してしまいましたね。
しかし、芸術とは富裕階級・貴族階級の特権なわけですが、この道に足跡を残した定家が、実は階級崩壊の時代に生きていたと言うことは、大きな意味を持つのではないでしょうか。
ということで本書から言えるのは・・・
・自分の道を決めたら、どんな世の中であろうともひたすら追い求めるべき! ・渡った道の先にこそ、研ぎ澄まされた正解がある |
さて、次回は『義経』をご紹介。
定家も生きた平安→鎌倉という転換点を、歴史の主人公の目から読んでみたいと思います。
** 著者紹介 **
堀田善衛(ほった よしえ)1918~1998
慶応大学文学部仏文科卒業。国民党徴用、新聞社勤務のあと、作家として活動する。
諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍。国際的な視野を持つ文学者として知られる。アジア・アフリカ作家会議事務局長などに従事。晩年はスペインで過ごす。
『広場の孤独』(芥川賞)や、宮崎駿がアニメ化を構想した『方丈記私記』(毎日出版文化賞)など、著書多数。
(wikipediaより抜粋)
** 登場人物紹介 **
藤原定家(ふじわら の さだいえ)1162~1241
鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原俊成を父に持ち、最終官位は正二位権中納言までのぼりつめる。
平安末期から鎌倉初期という激動期を行き、歌道の家としての地位を不動にした。百人一首に収められているのは『来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ』。代表的な新古今調の歌人であり、後世の歌に極めて大きな影響を残した。
『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』『小倉百人一首』などを撰進、歌集に六家集のひとつに数えられる『捨遺愚草』など。18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』(国宝)を残し、これは天文学上の重要な資料ともなっている。
(wikipediaより抜粋)
** 他にこの本を紹介してるサイトさん **
・「松岡正剛の千夜千冊」さん
・「六条亭の東屋」さん
・京都国立博物館HP「書籍のおはなし」
Otoya
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