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【歴史/人物】 『大空のサムライ』
眠くて眠くてどうにもならない。

これではとてもブカまでも帰れない。もちろん俺は海に落ちるだろう。そして死ぬのか。
それなら、どうせ死ぬなら、やはり自爆した方がいい。敵の船団の上へ突っ込んで死んだ方がいい。自爆だ、自爆に決めた。よし、それでは自爆しよう。引き返しだ。

そう決心して、私は百八十度急旋回、ガダルカナルと思われる方向へ機首を向け、そのまましばらく飛んだ。

ところが、はっと気がついてみると、もうぜんぜん眠くない。
自分では意識していなくても、やっぱり生命が惜しいのだ。
心の奥の方に潜んでいる生命を守る本能が、必死になって最後の力を出して闘ってくれるのだ。

どうしたらいいか? 考えたって名案は無い。ただベストを尽くしてやってみるだけだ。
(6章『孤独なる苦闘の果てに』より)



大空のサムライ〈上〉死闘の果てに悔いなし (講談社プラスアルファ文庫) 『大空のサムライ』(上・下)

 坂井三郎著、講談社+α文庫、2001年4月
 (初出は1972年7月、光文社より)
 ★★★★★

  <目次・上巻>
 1.苦しみの日は長くとも
 2.宿願の日来たりて去る
 3.ゼロこそ我が生命なり
 4.死闘の果てに悔いなし
  <目次・下巻>
 5.向かうところ、敵なし
 6.孤独なる苦闘の果てに
 7.迫りくる破局の中で
 8.大空が俺を呼んでいる





本書は、第2次世界大戦時における旧日本軍エースパイロット・坂井三郎氏による手記です。
アメリカ・イギリス・フランスでもベストセラーとなり、世界で100万部以上が売れた、日本の代表文学の1つ。イラク空軍では必携書として指定されています。

連合国からは冷血な戦闘機械と思われていた旧日本軍。
その撃墜王は、何を想い空に臨んでいたのでしょうか。


========


◎大空への憧れ

著者は昭和8年、16歳で旧日本海軍に入隊します。
小さい頃からスピードに憧れていた著者は、海軍航空兵の試験に2回失敗したものの、それでも「飛行機がそばにあるなら・・・」という希望から海軍に入隊。
戦艦の砲手など曲折を経て、ついに戦闘機の操縦練習生になります。

本書前半はこうして、憧れの戦闘機訓練生になり、厳しい操縦訓練を経て、ついに中国戦線での初陣を飾るところが描かれています。
全体的に軽快に描かれているので、ページをめくるのがはやいですね。

そしていよいよ物語は太平洋戦争に突入し、いつしか著者は日本軍屈指の戦闘機乗りとなっていきます。この間に出会う様々な戦友やエピソードがおもしろいです。

たとえばある日、戦場跡に行って自分が掃射した敵兵の死体を見つけ、その場に埋めたり、あるいは戦友と敵基地上空にて曲芸飛行を見せ付けたり。
あの戦争における一兵士の日々が、著者の豊かな感情のままに綴られています。



◎「どんな手段であろうと敵機を撃破し、且つ生還し、また飛ぶ」

著者はなぜエースパイロットになれたのか?
それは単に多くの経験を積んだから、というわけではなさそうです。

本書では、著者は一貫して「どうすればいいのか」の自問自答を続けています。
訓練生のときも、初陣のときも、戦闘前も、そして死にかけたときも。
どのようなときであっても著者は、「どうすれば勝てるのか、どうすれば生き残れるのか」を求めて、ギリギリのところで足掻いているのです。


1942年8月7日、著者はガダルカナル島上空にてSBDドーントレスの集中砲火を浴びます。
わずかなミスが失速や墜落に繋がる戦闘機ですが、著者は頭部に重傷を負い、目が見えず左半身も不随のまま、気がつけば海面すれすれを飛行していました。
急降下していた機体をまさに無意識下で持ち直したものの、出血多量のために幾度と無く意識を失い、機体も海面スレスレで背面飛行を繰り返し、まさに絶体絶命の状態。

どうせ死ぬなら引き返して敵の船団に自爆しようか。
いや、それでも戦闘機の足りない今だから、せめて機体だけでも持ち帰らなくては。


負傷して4時間以上、著者は自分の限界と戦いながら、奇跡的にラバウルまで帰還します。
そのすごいところは、意識を保とうと努力し続けた精神力もさることながら、確実に墜落する状況の中で「どうすればなんとかなるのか」という不可能を可能にするための方法を追求し続けたことでしょう。


さらに著者は別の戦いで、この時の失明のために、味方と間違えて敵編隊のド真ん中に突っ込むという窮地に陥ります。
敵機15機に囲まれ猛追を受けるという大ピンチ!
何度も諦めかけた著者ですが、しかしこのときも希望を捨てず、そのときの最善の方法を見つけ、そしてそれまでに培った熟練技を駆使して、15機からの攻撃を乗り切ります(※)

※後の米軍側パイロットの証言では、むしろ著者の1機に対し米軍側のほうが圧倒されていた、とのこと。



◎ああ、そうだった。飛行機はもう1機も無いのだ。

「絶対死ぬ作戦で士気があがるわけがなく、むしろ士気は大きく下がった」(※wikipediaより)

と特攻作戦を批判する著者ですが、すさまじいまでの生への執着と信念が、著者をエースパイロットへと仕立てたのでしょう。
著者は撃墜数ではなく、「一度も飛行機を壊さなかったこと」「1人も寮機を殺されなかったこと」を誇りとしています。

著者は常に自分を鼓舞しながら、愚直なまでにあきらめず、任務を全うしようとしました。
そしてその任務こそが、著者にとっては「生き残ること」でした。


一方、物語は、激戦さなかの硫黄島が全ての航空機を失い、輸送船で木更津に帰還するところで終わります。
実は著者は本土帰還後も紫電改の教官などをしながら任務に当たるのですが、それについては描かれていません。ただ、確実に死が約束された戦友たちを後にして内地に戻る、それだけの最後です。

本書は著者の、生き残るために過ごした日々の記録です。
だからこそ、「生き残るための努力」すら許されず散った何万もの将兵を、描かないまでも余韻として残したところで、最後にあの戦争の本当の意味を教えてくれたのではないでしょうか。

手に汗握る珠玉の英雄譚としても、そして太平洋戦争を1兵士の視点から綴った記録としても、本書は必読の一冊とお勧めします。



** 著者紹介 **
坂井三郎(さかい さぶろう)1916~2000
佐賀県生まれ。青山学院中学部を中退し、1933年に海軍に入る。
戦艦霧島、榛名の砲手を経て、1937年に霞ヶ浦海軍航空隊操縦練習生となり、首席で卒業、戦闘機操縦者となる。
200回以上の空戦で敵機64機を撃墜したエースパイロット。
本書『大空のサムライ』は『SAMURAI』として国外でも出版され、世界的ベストセラーとなった。



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歴史/人物 | 23:55:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
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