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【歴史/人物】 『たった1人の30年戦争』
木紀夫という人がいました。彼には夢がありました。

「パンダ、雪男、そして小野田少尉に会いたい

鈴木青年は24歳になり、小野田少尉に会うために単身フィリピン・ルバング島の密林へ入ります。
そしてそこで、“残置諜者”としてゲリラ戦を繰り広げる旧陸軍将校・小野田少尉に会うのです。

「射殺しようか迷ったが、妙な靴下を履いていたのが気になり、しばらく様子を見ることにした」
(小野田少尉)


鈴木青年の尽力の甲斐あり、ついにかつての上官である谷口元少佐から降伏命令を受け、小野田少尉は日本に帰国します。

それが昭和49年3月10日

小野田少尉は終戦の後28年もの間、終戦を信じず、密林でゲリラ戦を続けていたのです。

小野田少尉の帰国は有名な事件だったので、ご存知の方も多いかもしれません。
本書は帰国から20年後、当時のことをあらためて振り返った小野田さんの手記です。
戦前から帰国20年までの軌跡が述べられており、サバイバル経験にも多く言及され、非常に読み応えのある一冊でした。



たった一人の30年戦争 『たった一人の30年戦争』

 小野田寛郎、東京新聞出版局、1995年8月
 ★★★★★

 ・ブラジルの日々
 ・30年目の投降命令
 ・フィリピン戦線へ
 ・ルバング島での戦闘
 ・密林の「残置諜者」
 ・「救出」は米軍の謀略工作だ
 ・終戦28年目、小塚一等兵の“戦死”
 ・たった一人の任務遂行
 ・帰還、狂騒と虚脱と
 ・生きる



========


◎サバイバル歴30年

「事実は小説よりも奇なり」とは言いますが、終戦後30年してのようやくの帰国は、まさにリアルタイムスリップ
本書はルバング島での30年に渡るゲリラ戦と、鈴木青年との出会い、投降、帰国してからの戸惑い、そして現在についてを、それぞれ織り交ぜながら綴ります。

まずおもしろいのは30年に渡る“戦争”の様子。
小野田少尉は小塚一等兵とわずかに2名で、30年もの間フィリピン軍と戦います。
このサバイバルが壮絶です。
牛をしとめて保存加工したこと、武器弾薬の確保と分散保存、衣服の作り方、野営地の作り方、地元住民への牽制など、多岐にわたります。
カレンダーの無い島で30年暮らして、日付が6日しか狂わなかったと言うのもすごいですね。

そして同時に語られる、30年間の心情もまた興味を惹きます。
というのは、小野田少尉は決して終戦を「知らなかった」わけではないのです。
実は小野田少尉は、いわゆる特殊工作員(スパイ)として、密命を帯びて島に来ました。
この諜報技術の紹介もおもしろいんですが、しかし運命の皮肉を呪わざるを得ないのは、戦時下の参謀部の予想です。
小野田少尉はルバング島着任前に、参謀部から次のような予測を聞きます。

①盟邦ドイツの降伏は時間の問題。そして日本陸海軍もいまや壊滅的
②米軍は今後沖縄に上陸、九州に上がり、浜松を拠点化、九十九里上陸を果たし本土決戦
③最悪の場合、米軍による本土占領も有り得る。そして傀儡政権を建てるだろう
④この場合、日本政府は満州に転進するはずだ
⑤満州には80万の兵力が温存されている。これが反撃に出るのがおそらく5年後
⑥その後も日本政府は、中国の国民党と手を結び、100年戦争を続けるはずだ


小野田少尉は日本の新聞や雑誌を手に入れており、民家から盗んだトランジスタラジオを改造して日本の電波も拾っていました。
そして小野田少尉は、予測と現実との奇妙な符号を知り、ますます戦意を固めるのです。
その誤解の様子が実によくできていて、そしてそれが30年もの戦いに繋がったかと思うと、切なくなります。



◎異邦日本

本書には、帰国してからの小話も載せられていて楽しめます。そのうちの1つを紹介。

小野田さんが日本に帰還して、タクシーに乗ったときのこと。
運転手さんと“最近の若いもん”の話になりました。

「若いもんがダメと言うより、最近のおやじがだらしないんだよ。戦争に負けて自信を失くしちまってる」
「運転手さん、それは違うよ。戦前の人間が立派なら、負ける戦争なんかしなかったんじゃないですか」
「あんたもダメおやじの一人だね。少しは小野田さんを見習ったらどうだ



と、本書では帰国後についても豊かに語られています。
帰国後小野田さんに待ち受けたのは、戦前との乖離でした。
そりゃそうですよね。

資源を得るために米国と戦った、軍事国家・大日本帝国。
米国と同盟を結び経済成長を遂げた、平和憲法の日本国。


違いすぎます。

もちろん戦前の日本が良かったかといえば、一概には言えません。
でも僕が小野田少尉を知って感じたのは、戦前の日本人が持っていた「愚直さ」
小野田少尉が30年間戦い抜いた理由には、諜報学校での次の教えによるのです。

1.何があっても死んではいけない。捕虜になってでも生きよ
2.敵からの情報は全て謀略であり、一切信じてはいけない


項目1については疑問に思う人がいるかもしれませんね。
あれだけ玉砕を謳った陸軍が「生きよ」とは、安西先生が「あきらめたら?」と言うくらい違和感のある言葉です。(もちろんこれにもちゃんと合理的な理由があります)
でもこの事を30年間一徹した小野田少尉には、畏敬の念を拭えません。
もちろん「軍人だから」という違いはあるでしょう。思想教育も一因だろうし、言葉を変えればただの盲信です。
しかしそれでも、身をもって1つのことを貫徹するというのは、美徳として学ぶべきではないでしょうか。



◎戦後60年

本書他に、小野田少尉から「被害」を受けたフィリピンサイドの話も載っているので、両者の観点から30年の戦いを俯瞰できます。

そして今、あの大戦から64年が経ちました。
小野田さんにとっては戦後30数年ですが、小野田さんは今なおも存命で、ブラジルにて農場経営に携わります。
そして昭和59年からは、自身のサバイバル経験を子供たちに伝える「小野田自然塾」を開き、教育にあたっています。


とても読みやすい一冊です。
興味のある方はぜひ読んでみて下さい!



** 著者紹介 **
小野田寛郎(おのだ ひろお)1922~
日本の陸軍軍人で、情報将校だった。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島からの帰国を果たす。帰国時には、『軍国主義の亡霊』という批判も表れた。
帰国後結婚した妻とともにブラジルに移住し、「小野田牧場」を経営。その後は日本における少年凶悪犯罪の多発に心を痛め、サバイバル塾「小野田自然塾」を主宰。自らの密林での体験を活かし、講演会や野営を行い、高齢ながら日本とブラジルを行き来し続けている。
『小野田寛郎-わがルバン島の30年戦争』『生きる』『わがブラジル人生』など著書多数。
(wikipedia参考)



** 他にこの本を紹介しているサイトさん **
「liliaの瞬間湯沸かし記」さん
「読書ノート。」さん
「本を読もう!!VIVA読書!!」さん
「BOOKVADER」さん
「身も蓋もなく」さん
Otoya


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関連するタグ Otoya 【一般書】 【歴史/人物】 小野田寛郎 ★★★★★
歴史/人物 | 14:38:51 | トラックバック(1) | コメント(0)
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「たった一人の30年戦争」
終戦を信じず、30年もルバング島にひそんで生還した、小野田元少尉の自伝です。 最初にガツンと来たのは、「緊張感」でした。 本書のはじめの方で、小野田さんを"発見"した鈴木青年との遭遇シーンが語られています。 あっさりと書かれている事実のひとつひとつに、底知れ...
2009-09-04 Fri 15:14:52 | 読書ノート。

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